しんし(徳田)
中京区蛸薬師通堀川西入
しんし針など染色工芸材料の専門店
天保13年の創業とか、とするとザッと170年前ですね!!
私の母親もそうでしたが昔の女の人は、普段着の着物は自分でほどいて洗ったうえ糊をつけ、板張り・伸子張りなどでシワを伸ばしたあと、また仕立てていました。
しんし(伸子・籡)というのは、洗い張りや染色した布のシワを伸ばしたり、一定の幅に広げるための道具で、竹製の細い串の両端に短い針がつけられていて、布の織耳に刺して張るための道具です。
今ではすっかり少なくなっていると思われますが、悉皆屋(しっかいや)という商売があります。高級な着物の染め替えや洗い張りなど、着物の手入れや仕立て直し・調達などの一切(悉皆)を請け負う専門業者のことです。
「装束司」という語を『広辞苑』で引くと、「古代、行幸・大嘗会(だいじょうえ)・御禊(ごけい)、大葬などの際、臨時に設けて装飾・設営をつかさどった職。」なのだそうです。
そしてその後、代々、装束のことをつかさどった次のような諸家があるということです。
「衣紋道(えもんどう)」の祖と言われるのが三条天皇の孫である源有仁で、その没後に大炊御門経宗と徳大寺実能に伝えられた。しかし、大炊御門家の衣紋の技は高倉家に移り、徳大寺家は三代目が山科家の始祖となった。
こうして現代に伝わるのが衣紋道の2つの流派で、「高倉流」と「山科流」なのだそうです。
装束司の仕事は、衣装の布の調達にはじまって、仕立て、衣紋と云われる着付けに至るまでを手がけており、そのすべてが有職故実の伝統である形と技法に則っているそうです。
写真の黒田装束店は高倉流の流れを受け継いでいるとか。
なお、昨年に皇居正殿松の間で行なわれた現天皇の即位式「即位礼正殿の儀」においても、装束司が衣装や着付け、儀式の設営を担ったようです。
そのほか、装束司が手がける仕事では、京都の三大祭である葵祭・祇園祭・時代祭といった伝統行事などで、各時代の衣装をとおして目にすることができます。