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トマソン

2024年8月 9日 (金)

これトマソン?! その6

 階段の上には建物も何も無くて、ただこのコンクリートの階段だけがあるのです。
 これは何のための階段なのでしょう。天国への梯(きざはし)? それとも地獄への階段?

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 この物件は、京都大学吉田キャンパス本部構内の総合研究15号館(旧建築学教室本館)裏手に存在しています。
 かつては、京都大学工学部建築学科意匠研究室アトリエの玄関階段だったそうです。しかし、そのアトリエは1984年に解体・撤去されたとのこと。どのような理由からなのか、4段ある階段だけが取り壊されずに取り残されてしまったのです。
 心優しい職員の方が居られるのでしょう、階段だけでは余りにも殺風景で愛想がないと思ってか?、観葉植物の小鉢をいくつも乗せています。

 前衛芸術家で純文学作家の赤瀬川原平氏(1937〜2014)たちの提唱した「超芸術トマソン」の概念の一つに「無用階段(純粋階段とも)」というのがありますが、これはまさしく無用階段です。
 建造物が増改築や撤去などによって、階段としての機能を失ってしまい、まるでオブジェのように取り残された階段をそう呼ぶとしています。
 なお、ちくま文庫『トマソン大図鑑』の分類によると、無用階段(純粋階段とも)はただ昇って降りるだけの階段。もともとは階段の先に扉などがあったものが多い。設計変更などが原因で、新設の当初から無用階段となってしまっていたものも存在するとか。




2024年7月26日 (金)

これトマソン?! その5

 京都大学の吉田キャンパス本部構内に、登録有形文化財(建造物)に指定登録されている「尊攘堂」という施設があります。
 京都大学と尊王攘夷運動の取り合わせがピッタリしない、どうも似つかわしくないように思えて、どういう繋がりがあるのか気になっていました。それで、先頃とりあえずは見てみようと出かけていきました。

 ところが以前、ネットでトマソンと思しきものが京大構内に存在することを知っていましたので、この際それも実見してきました。
 それで、今回はそのトマソンの方を先に記事にして、尊攘堂は後に回すこととしました。
 〈注〉ウィキペディアではトマソンを次のように説明しています。「まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物。存在がまるで芸術のようでありながら、その役にたたなさ・非実用において芸術よりももっと芸術らしい物」
 
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 上の写真に写っているのは、コンクリート製のテニス審判台ですが、これは紛うことなくトマソンだと思われます。
 この物件は、総合研究14号館(旧土木工学教室本館)の裏手に存在します。
 審判台の前に、以前はネットを張るためのポストとテニスコートがあったのですが、今ではその一帯は駐車場と化してしまっていて、審判台だけが場違いでまさに役立たずといった感じで存在します。
 なお、審判台の右後方にはコート整備用のローラーが、大小一台ずつ残されているのが見えます。



2013年11月29日 (金)

これトマソン?! その4

 これは北白川にある某有名ラーメン店の近くで見かけたものです。

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 鉄扉が付いており出入りができる。施錠されているが・・・。
 何だろう 
 反対側から見るとー、

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 トーチカ まさかそんな馬鹿な! 
 監視用と銃眼を兼ねた小さな穴が空けてあるようにも見える。

 広辞苑ではトーチカを、
 「(点の意)コンクリートで堅固に構築して、内に銃火器などを備えた防御陣地。火点。」としているけれども、この構築物は重火器の弾を食らうと簡単に崩壊しそうなチャチな代物で、堅固な防御陣地とは到底云い得ない。

 傍にクリーニング店があって人影も見えたが、正体が判明してガッカリしたくないので聞くのはやめた。



2013年11月22日 (金)

おっとっとーッ !!

 この樹、近寄ってよ〜く見ると

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 苦しそうに、痛々しそうに見えるけれども、なんとなく滑稽な感じもするな〜。
 電柱を支えているワイヤーが成長する樹木の幹や枝に喰われています。
 ワイヤーが樹を落さんと(気絶させようと)締め上げているように見えるし、それに堪える樹がワイヤーを身の内に呑み込んでいるようにも見える。トマソンの分類に「ものを喰う木」と言うのがありますが、まさにこれですね。
 生体に備わった自然治癒力は、樹が自分自身で傷を治し異物を包み込んでしまうのですね。
 時として、ヒトがココロに受ける深い傷もこのように逞しく癒せると良いのですが。

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2011年9月 3日 (土)

これトマソン?! その3

 時代を感じさせる柱の色合いは「国威宣揚」の文言と相俟って、何かオドロオドロシイ雰囲気です。

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 前から見ても、横から見ても???
 この構造物は何なのか、サッパリ判りません!
 その後、正体が判明しました!!('13.10.25 追記)
 大正天皇の即位を記念して、「大典記念京都博覧会」が大正4年10月1日から80日間にわたり岡崎で開催されました。この建造物は当時の電燈台座部分だそうです。

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2011年8月31日 (水)

これトマソン?! その2

 周囲は石垣、その一角だけ煉瓦積み。
 何があるのか、または、あったのか?

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 こちらは真っ直ぐの壁面ではない。
 3段の棚状になっている。

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 もともとは通用門とおぼしきところ。
 何故かコンクリートで塞いでしまっている。

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*追記
 この記事は8月20日に一旦は作製したものの、公開せずに放置していました。
ところが、昨日、上の二枚の写真(石垣の中の煉瓦積み)の正体が判りました。
昭和36年(1961)廃止された京都市電北野線(チンチン電車)が、四条堀川から北上し、中立売通で東堀川から西に渡る鉄橋がここに架けられていたのです。何なのかが判明しましたが、敢えてそのままで公開します。
 また、8月23日付けの記事(これトマソン!? その1)中、コンクリートの狭い橋状の構造物は、北野線が単線の時代の鉄橋跡のようです。



2011年8月20日 (土)

これトマソン?! その1

 下から見れば、幅は狭いが橋のように見える。


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 上から見れば……、歩けない、渡れない。
 両端は金属の尖った柵があり、立ち入れないようになっている。
 これは何だ! ヒョットして水道?

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 築地塀に設けられた戸は、道路からかなり高い石垣の上に、どうして出入りするのだろう。

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