周囲は石垣、その一角だけ煉瓦積み。
何があるのか、または、あったのか?
こちらは真っ直ぐの壁面ではない。
3段の棚状になっている。
もともとは通用門とおぼしきところ。
何故かコンクリートで塞いでしまっている。
*追記
この記事は8月20日に一旦は作製したものの、公開せずに放置していました。
ところが、昨日、上の二枚の写真(石垣の中の煉瓦積み)の正体が判りました。
昭和36年(1961)廃止された京都市電北野線(チンチン電車)が、四条堀川から北上し、中立売通で東堀川から西に渡る鉄橋がここに架けられていたのです。何なのかが判明しましたが、敢えてそのままで公開します。
また、8月23日付けの記事(これトマソン!? その1)中、コンクリートの狭い橋状の構造物は、北野線が単線の時代の鉄橋跡のようです。