京の郭(廓)その9 ー橋本遊廓ー
この「京の郭(廓)」シリーズは、今回をもって9回を数えることになりました。続け過ぎた感も強いので、二桁の回数になる前に今回をもって打ち切ることにします。
橋本(八幡市)
大坂街道(現・府道13号)沿いの八幡にあり、隣はもう大阪府枚方市となる。
僧行基が淀川対岸山崎との間に山崎橋を架けた。そのたもとにできた集落であることが地名「橋本」の由来。
山崎橋は瀬田唐橋・宇治橋と共に日本三古橋の一つとされるが、度重なる流失や淀川水運の開発が進んで廃絶した。昭和37年(1962)までは渡し船が通っていたそうである。
「橋本の駅」と称し宿場町として発展し、幕末には陣屋が設置されていた。江戸期以来、昭和33年(1958)まで遊郭があり、売春防止法が施行されて後は下宿・アパートに転業したが、今では空き家となった元妓楼と見受けられる建物がかなり残る、うら寂しい町並みとなっている。
こんな防火用水が残っていた。
以下は、妓楼入口や窓の上部に嵌められている飾りの透かし彫り。
そして、京都北部では日本海を東西に巡る北前船開運で賑わった港町宮津に、「二度と行こまい丹後の宮津 縞の財布が空となる 丹後の宮津でピンとだした」と宮津節に唄われて、全国に広く知られ繁盛した新浜遊郭があった。
その他、まだまだ京都の各地にあったようですがこのシリーズは擱筆します。