2025年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
無料ブログはココログ

看板・ポスター・暖簾

2024年10月 4日 (金)

看板いろいろ その44

 本来であればこの記事は9月20日(金)にアップする予定でした。
 ところが、「青天の霹靂」といえば大層ですが、まったく予期しなかった事情に見舞われて、17日間にわたって家を離れざるをえず、昨日ようやく帰宅しました。
 いつもこのブログをご覧いただいている皆さんには、これはどうしたことかとご心配いただいたかもしれません。
 ともあれ、つたないブログですが再開することができました、よろしくお願いいたします。


西村吉象堂

 中京区三条通柳馬場東入
 漆器の製作販売と修理

Photo_20240911160701

 西村吉象堂の店名は、大正13(1924)年に京都の老舗漆器店「象彦」から独立した初代の西村吉蔵が、「象彦」の「象」と吉蔵の「吉」ちなんで名付けたという。

 漆器とは木や紙などに漆を塗り重ねて作る工芸品で、日本の有名な漆器として福島県の「会津漆器」、石川県の「山中漆器・輪島漆器」、福井県ん「越前漆器」、和歌山県の「紀州漆器」などが代表的な漆器です。
 ちなみに、「漆器」がヨーロッパでは「japan」(ジャパン)と呼ばれるのは、漆器が日本を代表する産物と見られたからでしょうか。
 なお、「象彦」は寛文元年(1661年)の創業としていて、三百有余年の歴史を持つ京漆器の老舗店です。


鳥彌三

 下京区木屋町通四条下ル
 鳥の水炊きがメインの鳥料理

_01_20240912153501

 この鳥彌三の創業は天明8年(1788)だという。店舗の建物は登録有形文化財に指定されているそうです。
 ちなみに、天明8年といえば、正月30日の早朝に発生した火災で3万7000軒の家が焼け、6万5000世帯が住む所を失ったという、京都での史上最大の火災「天明の大火」の年にあたります。
 『京都坊目誌』は天明の大火を、「字団栗ノ辻子民家偶々火を失し、加茂川を超え、忽ち京師の大火となり、皇居を犯し、全市を焼燼するに至る。世之を天明大火と稱し、団栗大火と呼ぶ。」と記していて、団栗橋(四条大橋の南の橋)の東方、団栗ノ辻子の六軒町民家が火元だっとようです。
 折からの東の強風に煽られて、炎は鴨川を飛び越えて西方に向けて燃え広がったため、いまの鳥彌三がある鴨川西岸の斎藤町の一帯もあっという間に炎上したものと思われます。

 


2024年3月22日 (金)

看板いろいろ その43

クラフトビール ー西陣麦酒ー

Photo_20240320143301

 旅行で行った土地のお土産として、クラフトビールを贈ったり頂いたりすることは珍しくありません。
 クラフトビールというのは、小規模の醸造所で製造するビールです。
 かつての酒税法では、ビールの製造は年間に2,000キロリットル以上を製造しなければならなかったのです。そのため、アサヒビール、キリンビール、サントリービール、サッポロビール、オリオンビールといった大手ビール会社だけが製造していました。
 ところが、平成 6年(1994)の酒税法改正で規制が緩和されて、ビールの製造免許をとるのに必要な最低製造量がそれまでの年間2,000KLから清酒と同じ60KLに引き下げられました。 この酒税法改正によって、大手メーカーにしか許されていなかったビールの製造が、各地の中小醸造所でも可能になり、日本全国で個性豊かなビールが誕生することになったのです。
 こうして、その土地の水・原料・製法の違いから、様々な風味のビールと出会うことができるようになったのです。
 このように、美味しくて特徴を出したクラフトビールが飲めるようになり、料理雑誌でも取り上げられるようになったのは2010年台になってのことだそうで、大手ビール会社も2010年代半ば頃になるとクラフトビールの製造を始めたのです。

 さて、西陣麦酒です。
 西陣麦酒はクラフトビールの醸造所で、上京区大宮通今出川下る薬師町234 に所在します。
 プロジェクト「西陣麦酒計画」のもと、自閉症の人たちとともに西陣麦酒を醸造・販売しています。
 西陣麦酒京町家タップルームを設けていて、西陣麦酒の出来立て生ビールを楽しむことができるようになっています。

 ちなみに、京都市には他にもいくつかの小規模ビール醸造所があります。
  京都醸造  南区西九条高畠町25-1
  家守堂(やもりどう)  伏見区中油掛町108
  京都町家麦酒醸造所  中京区堺町通二条上ル亀屋町173
 他にも、
  スプリングバレーブルワリー京都  中京区富小路通錦小路上る高宮町587-2
  黄 桜  伏見区塩屋町223番地(クラフトビールでなく地ビールを自称している)



2023年12月29日 (金)

暖簾いろいろ その40

象 彦
 中京区寺町通二条上ル
 漆器の製造・販売
 京漆器の老舗で、寛文元年(1661年)に象彦の前身である漆器道具商として象牙屋を創業。

Dscn0069

 朝廷から蒔絵司の称号を拝受した名匠・三代西村彦兵衛が、晩年に「白象と普賢菩薩」を描いた蒔絵額が洛中で評判となり、人々はこの額のことを象牙屋の「象」と彦兵衛の「彦」の二文字をとって「象彦の額」と呼んだのが店名「象彦」の由来と言う。
 ところで「象」という字、中国古代の殷の時代に亀甲や獣骨に小刀で刻まれた最古の漢字とされる甲骨文字では、象が後ろ脚で立ち上がった形を表す象形文字なのです。この暖簾の「象」「彦」の場合は、象形文字をデフォルメしたのではなく図案化しています。(なぜか脚が6本あります)


 「漆器」というのは、漆(ウルシ)の木から採れる樹液の特性である塗装・接着性を活かした工芸技術で、実用的にして装飾的に漆を施した器具・器物・道具を言います。
 「漆」の木はヒマラヤから東アジアの照葉樹林帯が原産とされ、樹皮に傷をつけて生漆を採る。この生漆に着色剤・油・乾燥剤を加えて製造した塗料。




2023年12月15日 (金)

暖簾いろいろ その39

白竹堂本店
 中京区麸屋町通六角上ル
 一般用、贈答用の京扇子を製造販売
 創業は享保3年(1718)で、屋号の「白竹堂」は近代日本画壇の巨匠といわれる富岡鉄斎から贈られたとか。

Photo_20231211151301

扇と扇子
 「扇」は、必要なときにあおいで風を起こし、涼をとるための道具。
 現在では「扇」と「扇子」は同じ意味で使われていますが、「扇子」は元は中国での呼び名だそうです。
 扇は、木や竹またプラスチックなどを骨としてその一方に軸を通して要とし、その骨を広げて紙や布を張り折り畳めるようにしたもの。舞踊や儀式などでも用いる。
 扇の元の形は、木の薄い板(木簡)の端を糸で閉じ、そこを要として開閉できるようにした檜扇が元の形で、平安時代初期に考案されたとされ、のちになって紙の扇が考え出されたという。

団 扇
 団扇は竹やプラスチックの骨組みに和紙や布などを円形に貼ったもので、扇子と違って折り畳めないもの。奈良時代に中国から伝わって、宮廷や貴族に使用されたことが正倉院御物からうかがえるようです。

 なお、扇や団扇の特殊なものとして、中世までは戦さの指揮に武将が用いた軍扇、大相撲で行司が力士の立会いや勝負判定を指示するために用いる軍配があります。


2023年12月 1日 (金)

看板いろいろ その42

井六商店 
 下京区不明門通七条下ル
 茶葉販売
 看板の文字は明治時代から大正時代にかけて活躍した書家の小川寉斎によるとのこと。
 創業は文政元年(1818)とか

Photo_20231128115501

 ところで、ちょっと脱線・・・「お茶」絡みの話ですから、丸っ切り脱線というわけではありません。
 前回(23'11.17)の記事『もみじ(紅葉・黄葉)』を書くため広辞苑を眺めていると、次のような面白い記述に目が止まりました。

 もみじ【紅葉・黄葉】という語の意味についての説明の中に、次のような記述がありました。
 『茶を濃く味よく立てること。「紅葉(こうよう)」を「濃う好う」にかけたしゃれ。

 その出典として『醒睡笑』を上げて「お茶を ー にたてよ。… ただこうようにといふ事なり」を引いています。
お茶を、紅葉にいれる ⇨ 濃う好ういれる ⇨ 濃く味よくいれる、と洒落て言っているのですね。
 ちなみに、『醒睡笑』がどのような書物で、その著者がどんな人かを『日本大百科全書(ニッポニカ)』に当たってみました。

 「噺本(笑話本)。浄土宗の説教僧であった安楽庵策伝が、京都所司代板倉重宗の懇請によって編集したもの。1623年(元和9)に完成し、28年(寛永5)3月17日に重宗に進呈した。写本で伝わるもの(広本)には1000余の話を収め、それぞれ42項に分けられている。
 内容は、策伝が見聞した各地の逸話、僧界の内情、戦国武将の行状、民間説話、風俗や書物から得た説話を材料にした笑話が主であるが、経典の解釈や教訓・啓蒙的な咄も多い。
 咄の末尾に落ちをつける「落し噺」の型をもつものがほとんどであり、策伝自身がこれらを説教の高座で実演したために安楽庵策伝は後世「落語の祖」とたたえられた。
 この書は、説教僧としての策伝が、説教話材のメモを集成したものである。したがって、噺本(笑話本)ではあるが、説教本(仏書)の性格を持っている。」



2023年11月 3日 (金)

暖簾いろいろ その38

本家たん熊 本店
 下京区木屋町通佛光寺下ル
 京料理
 店名は、初代店主の栗栖熊三郎が出身地である丹波の「丹」と熊三郎の「熊」を由来としているそうな。

Photo_20231102140601

枡 儀
 下京区松原通寺町西入
 オリジナルハンドバッグの製造・販売
 暖簾には正徳3年(1713)創業とあるので、500余年も袋物一筋の歴史❗

Photo_20231102140602



2022年6月24日 (金)

暖簾いろいろ その37

すし岩
 下京区下珠数屋町通間之町角
 寿司・割烹
 Apple 創業者の一人、スティーブ・ジョブズが訪れたという店。

 私が60歳にして初めて買ったパソコンは、ボンダイブルーのプラスティックケースに入ったスケルトンタイプのiMacでした。

Photo_20220607103401

わた亀
  東山区宮川筋四町目
  京料理

Photo_20220607104601


貴匠桜
 東山区松原通大和大路轆轤町
 創作フレンチ

Photo_20220607105101


慶有魚
  宮川筋四丁目 319 番地 5
  宿泊施設

Photo_20220607105102





2022年4月15日 (金)

看板いろいろ その41

野一色(2点)
 下京区木津屋橋通西洞院西入
 袈裟・法衣
 寛政二年の創業、真言宗専門の仏具用

Photo_20220415090501

Photo_20220415090502
橘 屋
 下京区油小路六条上ル
 和菓子
Photo_20220415090601


 

2021年10月 8日 (金)

伸子張り(しんしばり)

Photo_20211007154701
しんし(徳田)
 中京区蛸薬師通堀川西入
 しんし針など染色工芸材料の専門店
 天保13年の創業とか、とするとザッと170年前ですね!!

 私の母親もそうでしたが昔の女の人は、普段着の着物は自分でほどいて洗ったうえ糊をつけ、板張り・伸子張りなどでシワを伸ばしたあと、また仕立てていました。
 
 しんし(伸子・籡)というのは、洗い張りや染色した布のシワを伸ばしたり、一定の幅に広げるための道具で、竹製の細い串の両端に短い針がつけられていて、布の織耳に刺して張るための道具です。
 今ではすっかり少なくなっていると思われますが、悉皆屋(しっかいや)という商売があります。高級な着物の染め替えや洗い張りなど、着物の手入れや仕立て直し・調達などの一切(悉皆)を請け負う専門業者のことです。



2021年5月 7日 (金)

看板いろいろ その40

いづみ屋
  東山区新道通団栗下ル
  山椒ちりめん

Photo_20210320160901

宇佐美松鶴堂
  下京区西中筋通(堀川通)花屋町下る堺町
  表装

Photo_20210320161001

平安法衣店
  下京区東本願寺大門前
  法衣・仏具

Photo_20210320161201

お久村
 さてこの貸衣装屋さん現存しているのかな?

Photo_20210320161501




より以前の記事一覧