看板いろいろ その44
本来であれば、この記事は9月20日(金)にアップする予定でした。
ところが、「青天の霹靂」といえば大層ですが、まったく予期しなかった事情に見舞われて、17日間にわたって家を離れざるをえず、昨日ようやく帰宅しました。
いつもこのブログをご覧いただいている皆さんには、これはどうしたことかとご心配いただいたかもしれません。
ともあれ、つたないブログですが再開することができました、よろしくお願いいたします。
西村吉象堂
中京区三条通柳馬場東入
漆器の製作販売と修理
西村吉象堂の店名は、大正13(1924)年に京都の老舗漆器店「象彦」から独立した初代の西村吉蔵が、「象彦」の「象」と吉蔵の「吉」ちなんで名付けたという。
漆器とは木や紙などに漆を塗り重ねて作る工芸品で、日本の有名な漆器として福島県の「会津漆器」、石川県の「山中漆器・輪島漆器」、福井県ん「越前漆器」、和歌山県の「紀州漆器」などが代表的な漆器です。
ちなみに、「漆器」がヨーロッパでは「japan」(ジャパン)と呼ばれるのは、漆器が日本を代表する産物と見られたからでしょうか。
なお、「象彦」は寛文元年(1661年)の創業としていて、三百有余年の歴史を持つ京漆器の老舗店です。
鳥彌三
下京区木屋町通四条下ル
鳥の水炊きがメインの鳥料理
この鳥彌三の創業は天明8年(1788)だという。店舗の建物は登録有形文化財に指定されているそうです。
ちなみに、天明8年といえば、正月30日の早朝に発生した火災で3万7000軒の家が焼け、6万5000世帯が住む所を失ったという、京都での史上最大の火災「天明の大火」の年にあたります。
『京都坊目誌』は天明の大火を、「字団栗ノ辻子民家偶々火を失し、加茂川を超え、忽ち京師の大火となり、皇居を犯し、全市を焼燼するに至る。世之を天明大火と稱し、団栗大火と呼ぶ。」と記していて、団栗橋(四条大橋の南の橋)の東方、団栗ノ辻子の六軒町民家が火元だっとようです。
折からの東の強風に煽られて、炎は鴨川を飛び越えて西方に向けて燃え広がったため、いまの鳥彌三がある鴨川西岸の斎藤町の一帯もあっという間に炎上したものと思われます。