京都人が京都の水の素晴らしさを讚える俗言に、次のようなものがあります。
「鴨川の水で顔を洗うと色が白く綺麗になる」
「鴨川の水を産湯に使うと美人になる」
錦の水(錦天満宮)

京都市域の北端から流れる川の多くは南に流れ、賀茂川・高野川に合流して京都盆地に入る、そして、この二つの河川は合流して鴨川となり市中を南に流れています。
このため、京都盆地の東北部から中央部にかけては、鴨川水系の砂礫が堆積して覆われた扇状地となっており、その範囲は南は九条、西は西大路に達しているという。
この扇状地の砂礫層は厚く、その表層部を流れる水は伏流して地下水となる。
地下水は、一般に自然の濾過により水質は良く、水温も一定しているので、古くから飲料水を初めとする用水として井戸を掘り使ってきました。
古くから京都の人々の生活や文化を支え、都市として発展してきた理由の一つに、広い河川流域の伏流水が豊富な地下水の供給源となった点が挙げられます。
この豊かな地下水は飲料水だけではなくさまざまな用途に使われてきました。そして京都の地下水は、京都の文化や伝統産業と密接に結びついています。例えば、茶道の三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)では茶の湯に井戸で汲み上げた水が使われ、京友禅の染色工程でも地下水は欠かせません。また、京豆腐や湯葉、京料理、酒造といった食文化、さらには伝統的な祭事においても地下水が深く関わってきたのです。
京都には古くから、京の三名水、都七名水、洛陽七名水など名水と称されたものが多くあり、市中の多くの町屋でも井戸を備えていました。しかし、今ではその殆どが姿を消してしまいました。
名水「亀の井」(松尾大社)
「日本第一酒造神」と仰がれ、境内に霊亀ノ滝、亀ノ井の名水がある。この水を酒に混ぜると腐らないとも言われ醸造関係者の信仰を集めている。

時代は降って明治23年(1890)、第一琵琶湖疏水の完成により水力発電所が稼働して、電灯を灯し、機械を動かす動力に利用されるとともに、日本で最初に路面電車が開通し、舟運、灌漑、防火、庭園用水など多くの目的に利用されました。
しかし、明治20年代の後半になると第一疏水の流量だけでは増大する電力需要を満たせなくなるだけでなく、地下水に依存していた市民の飲料水が質・量ともに大きな問題となってきました。
そこで、京都市は都市基盤整備事業として三大事業(第二琵琶湖疏水の建設・上水道の整備・道路拡築及び電気軌道敷設)を集中して実施し短期間で完成しました。第二疏水はその三大事業の中核として明治41年(1908)に着工し、明治45年(1912)に完成しました。
この水資源を上水道として利用するため、第二疏水と同時に日本初の「急速濾過方式」を採用した蹴上浄水場が完成しました。そして、完成の翌月には、蹴上浄水場から水道水の供給を始めました。
現在でも琵琶湖疏水は、水道用水、発電用水、灌漑用水、工業用水を供給するなど、都市活動を支える重要な都市基盤施設として、多目的かつ効率的な水利用がされています。ちなみに、その中で水道用水が占める割合は発電に次いで高く,市民の貴重な水道水源となっています。
それはそうと、京都の水利用に関わることながら、少し話は変わります。
近・現代になって地下水を水源とする京都の井戸の水位が低下し、あるいは水枯れするという事態が出来しました。
現在の阪急電鉄京都本線は昭和38年(1963)に、それまでの終点「大宮」から「京都河原町」まで延伸して京都線は全通しました。この大宮〜四条河原町の間の四条通地下工事の影響で、京都盆地の北から南へ流れる地下水脈が断ち切られ、四条通を挟んで北側数町と南側の広範囲で水位を低下させ多くの井戸が涸れてしまいました。
現在では外国人観光客にも大人気の「錦市場」ですが、ここ錦小路には東魚屋町・中魚屋町・西魚屋町があります。その町名由来は、「魚鳥及び菜果を販ぐ市場にして甚だ盛なり」と『京都坊目誌』にあり、天正期以来、大いに繁栄した市場ですが、これは良質で豊富な地下水が湧いたからなのです。
さらに、昭和56年(1981)に地下鉄「烏丸線」が、平成9年(1997)には同「東西線」が開通したのですが、その工事によって一帯の地下水脈の水位低下と涸渇に追い打ちをかけるように、すっかり涸れてしまうことになったのです。
『京町鑑』に「▲手水水町 此町東側中程に祇園会手水井有 毎年六月七日より十四日迄此井をひらく 水至て清冷也 常には柵をゆひ汲ことあたはず 是いにしへの祇園御旅所の跡也」とあります。祇園会の神事で使われたこの「至って凄烈」な井水もまた、地下鉄工事による一帯の地下水脈変化ですっかり涸れてしまい、今では榊と御幣を付けた注連縄が張られた石の井桁が残るのみです。
* ちなみに、水資源や自然環境への懸念から、静岡県知事が工事ストップをかけていたリニア中央新幹線、これは品川と名古屋間の8割以上をトンネルが占めるそうで、やはり工事の影響で井戸の水涸れが相次ぎ、田んぼの水張りができない恐れもあるという。このため工事の遅れから2027年開業を断念したと言うニュースがあったばかりです。
なお、京都の地下水や井戸、京都盆地の巨大な自然の地下ダムなどについて、当ブログの過去記事(2020年10月30日)「京都盆地の地下水』がありますので、ご覧いただければ幸いです。